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俺の友達紹介で初めて湘南美容クリニックに行くと今ならお互いに5000円分のポイントが貰えるよ。よかったら行ってみてね! 後藤輝樹 お客様番号:200 0007 180178 湘南美容クリニック横浜東口院

4「お前ら愛してるぜ!そして俺は覚醒した。」後藤輝樹様の選挙戦記「皇暦2679年(西暦2019年)神奈川県議会議員選挙編」

4「お前ら愛してるぜ!そして俺は覚醒した。」

皇暦2678年(西暦2018年)10月7日、それは突如、1つのツイートから始まった。

「おやすみ。お前ら愛してるぜ。」なぜ俺が、こんなツイートをし出したのか、俺自身、意味不明だ。俺は感覚、直感で生きている人間。だけど、自己分析し、振り返る能力もある。この選挙戦記も然りだ。振り返り、綴っている。元々、愛はあった。俺の無償の愛が、俺様の活動の源泉、原動力になっていた。自殺するくらいなら、世のため人のため恩返ししてから、死のうと決めていた。つまり、俺の愛を世界中に拡散し、死のうと。悪意をバラまいて自殺するのではなく、愛情をバラまいて自殺するのだ。ゼロレクイエムじゃないけど、最期は死のうと。てかよ、人間いずれ、みんな死ぬんだ。俺からしたら当たり前なんだけど、世間では、そういうの物騒に映るんだろ?でもさ、どうせ死ぬなら世の中を良くして死ぬなんて、最高な事じゃないか、俺は、そう思って生きてる。俺様、後藤輝樹様が世界を救う。そういう考えのもと、俺は今まで活動してきた。だけど今までは足りなかったのだ。そのアピール?が足りなかったのだ、圧倒的に。それに氣付いたキッカケがある。それは鴨頭さんという講演家のかただ。俺は今まで人生で、俺様の人格形成に多大な影響を及ぼしたものが2つある。厳密に言えば、多数無数にあるんだろうけども、二大巨頭、ツートップがある。それがダウンタウンの松本さんと賭博黙示録カイジ(を中心とした福本伸行さんの漫画作品)である。この2つが無ければ、俺は死んでいた。生きていたとしても、死んでいた。もっとも今の俺様は、十数年以上前から松本さんの影響からは脱していて、福本作品に関しては、今でも俺が道に迷った時など、影響や刺激には、なっている。おそらく、人の影響力は現在進行形で維持継続しなければならないのだが、漫画作品は作品としていつでも読み返して初心に戻れるという違いがあるのかなと。まぁ、この二大巨頭の話をするだけで、これまた一冊の本が出来てしまうと思うので割愛するが、いずれにしても、ここ数年の俺様は、ある種、達観していて、仙人、神様みたいになっていて、誰か何かからの著しい刺激を受ける事なく、生きていた。翻って言えば、逆に死んでいたのかもしれない俺様は。そんな中で、その二大巨頭には及ばずとも、それに匹敵するほどの刺激が、鴨頭さんであった。出逢いはYouTubeだった。たまたま何かのYouTubeを見ていて、洗い物か何かやってたのかな俺は。そしたら動画が終了して、次の動画へ自動再生され、その間に流れる広告かな?それで何か、熱い口調で喋ってるのが聞こえきた。洗い物か何かしてたから、しばらく聞いてて、これはヤバいと思い、そのまま動画を見て、やっぱりヤバいと思い、ネットで鴨頭さんを調べた。鴨頭さんの職業は講演家で、まぁ俺が語ると長くなるし無粋なので、興味がある人は鴨頭さんのYouTubeを見てほしい。それで分かるはずだ。そして、数日後に無料のセミナーがあるらしいので、とりま行こうと思った。こうなった時の俺の行動力は尋常じゃなく早い。俺が普段使っているメールで検索して過去の内容を調べてみたら、皇暦2678年(西暦2018年)9月20日にメールで無料セミナーを申し込んでるので、鴨頭さんを知ったのは9月20日か、その前日の19日。で、それから毎日、鴨頭さんの動画を見るようになった。そして同年9月25日に無料セミナーに行った。幸か不幸か、その時の鴨さんの講演の出来は、あまり俺の心に響かなかった、動画のほうが良かった。それどころか倫理法人会への勧誘圧が少し強めで、鴨頭さんに出逢ってすぐだったというのもあり、黒鴨頭の存在を全く知らない状態だったので、動画との印象にギャップがあり、少し引いてしまったというのはあった。倫理法人会自体は、入会する事も想定に俺なりに調べたが、良い組織だと俺は思った。ただ、今の俺はお金を払う余裕が無いので、入会していない。「だからダメなんだ、先にお金を払うから変わるんだ」という事は重々承知なのだけれども、俺は俺なりに玉砕覚悟の目標や目的が明確にあるので、他の人とは違うので。。と、まぁ、俺なりの言い訳だ。それに俺自身、輝樹教をやってるしな。倫理法人会はともかく、第一印象での鴨さんのセミナーに、俺が感動していたら、鴨さんが経営する自己啓発スクールに参加していたかもしれない。そうならなかったのは、そういう運命なんだと思う。し、長期間、鴨さんの動画を見続けた、俺なりの冷静な結論でもある。とはいえ、この俺様がここまで毎日動画を見て、刺激を受けるなんて事はなかった。それだけでも凄い。最近の俺は、他にやる事が沢山あるので、見るのを諦め、卒業したが、それまでのあいだ、この俺様にとって充分な刺激となった。鴨頭さんを毎日YouTubeで見て自問自答し、俺の直感は確信に至った。これからは講演家や。スピーチが来る。それが皇暦2678年(西暦2018年)12月2日のこのツイートである。

鴨頭さんの影響に限らず、フリースタイルダンジョンとか見てても思ったけど、ここ近年、「講演、演説、スピーチ」が来る。。という時代の胎動を、俺は直感で、ひしひしと感じていたのだ。政治家、宗教家、革命家、救世主、神様を自称する俺様へのまさにギフトではないか。元々、俺は芸人を目指していて、今は政治家を目指している。どちらも、話して、人の心を動かす生業である。俺の身体が直感していた。だけど同時に、俺は鴨頭さんに勝てるのか?超えられるのか?とも思った。それも直感で感じていた、現時点においての彼我との圧倒的なまでの力量の差を。俺のセンサーが感じとっていた。俺は自問自答していた。俺の存在価値を。そんな中、知り合いの人生を好転させてあげようと、鴨さんの動画を紹介したら(俺的には結構なベストチョイス)、予想外に毛嫌いされたので、それも衝撃を受けた。人によって、好き嫌い、好みがあるのだ。俺の声なら届くけど、鴨さんの声は届かないんだ、と。それは同時に、俺にしか届けられない声、変えられない世界があるんだという事を意味していた。もう、この際だ、せっかくの話す機会を与えられたので、正直に素直に話そう。こういうキッカケがあるほうが俺も綴りやすい。選挙戦記なので本来であれば、鴨頭さんの事を触れる必要は一切無い。だがここで鴨頭さんの事を触れておかなければ、本音で生きている俺としては、なんとなく罪悪感を感じるので、なんとなく告白しているのだ。鴨頭さんなんて知りませんみたいな振る舞いは俺は、したくない。正直、鴨頭さんが話してる内容は、俺でも知ってるような内容がほとんどであったが、なのに、他の人と違っていたのは、鴨頭さんの場合は、人を惹き付ける何かが圧倒的にあった。例えば、ユーチューバーのKAZUYAを知った時も、俺様のほうが凄いのにと、少し嫉妬した事があるが、俺は動かなかった(俺のほうが年が上なので、ここではフレンドリーな良い意味で、呼び捨て表現にした)。それこそ俺がKAZUYAを知ったのは、KAZUYAが龍馬プロジェクトの客寄せパンダにされる前の、本当に初期の頃だ。俺は見る目があるから「あ、コイツは来る」と俺は直感した。だけど俺は、俺様以外の事に興味が無いので、氣にならなかった。だけど、こんな歳の離れた、年上のこのオッサンには、何故か俺は動かされた。本当は俺様のほうが凄いのに、と。もちろん鴨頭さんをリスペクトもしているが、嫉妬の感情のほうが強かった。他人に興味がない俺様が嫉妬の感情を抱くのは珍しい事であった。俺様のほうが凄いと言えども、俺は、鴨頭さんほどガツガツ、ビジネスで成功したいとは思えないし、鴨頭さんほど人心掌握術を駆使する能力は俺には無いし、鴨頭さんほど人を感動させるアツいスピーチ、テクニックを凝縮させた上手いスピーチは俺には絶対できないと確信してるし、つまり、鴨頭さんと同じ土俵で戦っても俺は圧倒的に勝てない自信があり、俺が俺様として言霊を紡ぐ意味はあるのかと自問自答していたが、やはり俺にしか出来ない事が必ずあるという結論に至った。それは俺だけじゃないお前らも、そう。お前らにしか変えられない世界がある。だから自信を持て。自分を信じろ。元々その結論を有していたが、鴨さんの圧倒的なエネルギーに触れてしまい、揺らいだというか、改めて自問し続けていたのだ。ここに至る感情は、鴨頭さんと出逢ってしばらく経ったのちの感情であって、出逢った当時の感情は、鴨頭さんに触発されて、とにかく何かしなきゃと思ったに過ぎない。ハンターハンターでゴンやキルアがネフェルピトーと邂逅した時のような差。いや、そこまでの圧倒的な差は無いか。当時のキルアとシュートくらいの差は確実にあった。まぁ、ともかくも、鴨さんは俺に、焦りや嫉妬、悔しさなどの刺激をプレゼントしてくれたのだ。鴨さんを見て、俺は思った。俺は足りてなかったんだ、圧倒的に足りなかったんだと思った。元々、愛はあった。ホームページなどで、俺の思いの全てを伝えては、いた。だけど、それでは足りなかったのだ。不足していたのだ、熱が。鴨頭さんを見ていて、熱が、エネルギーが必要なんだと思った。もっともっと届けなければいけなかったのだ。俺の思いをもっともっと届けなければいけなかったのだ。そして、何を思ったのか、同年10月7日「お前ら愛してるぜ」のツイートが始まった。当然、躊躇もあった。まず、日本において、「愛してる」を公で言う事は無い、前例がない。というか、日本において、「愛してる」は恋人同士で言うものであって、無差別に言うものではない。無差別に「愛してる」と言ってる人を、俺は見た事も聞いた事も無い。ましてや俺は政治家を目指しているのである。そして俺様はイケメンである。イケメン候補者が有権者に対して、「愛してる」を言いまくるのは不埒なのではないか?と考える保守的な俺も当然いる。皇暦2676年(西暦2016年)の都知事選以降、俺は人間関係で悩んでいた。というのは、俺が俺らしく、人に対して優しく厚く接すると、当然、相手が俺を惚れてしまうのである。俺は優しいしサービス精神旺盛だし氣遣いも出来るしイケメンだし面白いし、通常で考えればモテないはずがない。なのでモテまくってしまったが、俺様は誠実さも兼ね備えているので、その中で、男女関係になったのは、たった1人だけである。もちろん結婚も見据えての誠実な交際である。そういった状況の中で、俺が相手のために尽くして接すると、相手を失恋させるというか、そういう事に対して、申し訳ない氣持ちが蓄積してしまい、いつしか無感情で接するようになってしまっていたのだ。相手が俺の事を好きになってしまったら悪いので、好かれないように接していた。狙い通り、好かれなくなったが、それどころか人も居なくなってしまった。難しいものである。そういう状況だったので、無感情で接するのは止めようと思い、いっその事、俺は「お前ら全てを愛してる」と吹っ切れてしまえばいいのでは?と思ったのかもしれない。この発想は、唯一すべての問題を解決に導くものであった。元々俺は博愛主義者であるし、恋愛や性的な感情で「愛してる」と言ってるのではなく、世の中すべてを幸せにしたい、俺様の愛を届けたいという後藤輝樹の思想信念に合致しているし、これなら不埒な意味合いも無いし、公ですべてのものに「愛してる」と言う事で、誰か特定の人を勘違いさせずに済む。あなただけに言ってるのではなく、俺はすべての人に言ってるんだよ、と。ただ、問題もある。俺がやり切れるかどうか?という事だ。愛を伝えるのは届けるのは、簡単な事ではない。言葉で言うだけでも大変である、エネルギーが必要だ。俺は政治家を目指す者、言葉は大事にしたい。今日言ってみて、三日後には止めて、ツイ消ししてるなんてのは最悪である。「愛してるぜ」を言うなら、一生言う覚悟、一生背負う覚悟が必要だ。そんなこと、やれるのか、俺に。たぶん、俺が、そのツイートする前に、数日、自問自答してたと思う。だけど俺は、やらなきゃいけない、と思った。そこら辺は感性、直感である。何故なら、こんな事を出来るのは俺しか居ない、と思ったからである。普通の政治家は、まず出来ない。鴨さんですら、「愛してるぜ」を巻き散らすのは無理だ。既婚者だし家族も居たり背負うものがあり、リスクがある。いや、鴨さんなら無理ではないと思う。あの人も頭ぶっ飛んでるから、やろうと思えば出来るはず。だけど、今なら鴨さんは、まだ、やらない。今、この「愛」を伝える届ける必要性を感じてるのは、俺しか居ない。そう思った。そんな事を出来る日本人は俺しか居ない。そう思った。昔の日本人は「ありがとう」なんて言ってなかったはず。侍が「ありがとう」なんて言う姿、想像できない。きっと「すまぬ!」とか「御免!」とか言ってたと思う。それが今や当たり前に「ありがとう」と日本人は言っている。俺は、未来の日本人が当たり前に「愛してる」と言ってる姿が想像できた。そして、それを広めたのは俺様後藤輝樹様だと。その絵が見えたのだ。だから、俺が「愛してる」を巻き散らすのは必然であった。だから俺が「ありがとう!愛してる!」を、これからの日本のスタンダードな挨拶にする!そして、何故、「愛してる」でも「愛してます」でもなく「お前ら愛してるぜ!」なのか?それは、俺が日本を世界を動かす政治家だからである。乱暴な言葉が使える人間で無ければ、いけないのだ。愛を伝える優しさと、世界を動かす強さの両方を、俺は兼ね備えていなければいけないのだ。でなければ世界を変える事はできない。愛だけでは世界は変わらない。破壊と創造。破壊するための強い力が居る。愛だけで世界が救えるなら、世の中は幸せにならなければ、おかしい。悲しいかな、愛だけでは世界は救えない。俺はトランプやプーチン金正恩習近平と、バチバチにやりあわなければいけない。アイツらと対峙できる唯一の日本人。その覚悟。制約と契約を込め、だから「お前ら」と「ぜ!」を付けた。「愛してる」は世界を救う俺様の盾、「お前ら」「ぜ!」は正義を貫くための俺様の矛。その決意の言霊が「お前ら、愛してるぜ!」という事になる。それが俺様後藤輝樹様という感性が導き出した答えだ。ちなみに、この俺様、輝様、後藤輝樹様も、象徴に過ぎない。俺であって俺でない。後藤輝樹と後藤輝樹様は別である。なので俺、後藤輝樹はお前らと同じ立場。俺もお前らと同じ立場で「後藤輝樹様」という象徴を育てているのだ。なので、もはや「後藤輝樹様」は俺の体では無いのだ。俺は俺の人生を捨て、世の中の幸せのために捧げた。つまり、世の中を幸せにする唯一の可能性がある「後藤輝樹様」に捧げたのだ。俺は「輝様」に懸けたのだ。だから俺自身は謙虚。謙虚な姿勢で後藤輝樹様を操縦?している。その10月7日以降、Twitterにしろ、実生活にしろ、俺は「愛してる」を言いまくった。こういうのは言いまくるのが大事。しんどくても、やるのが大事。言葉に出すから実現する。今までやって無かった事をやるのだから、しんどくて当たり前。「愛してる」を習慣化してしまわないと頓挫するのが目に見えた。だから、とにかく言いまくる。引かれても言いまくる。もちろん、そういうのを否定する人、否定するような空間、ふさわしくない場では控える。言える時は、とにかく言っていく。浸透させていく。その点、ツイッターは「愛してる」が言いやすい空間だった。そして、そんな事を続けて訪れた皇暦2678年(西暦2018年)12月8日の36歳の誕生日。のちに歴史的な日となるのかもしれない。その年の誕生日は、後藤輝樹史上最も多くの人の誕生日を祝ってもらった。そして沢山愛し、愛された。そのツイッターの様子がこれだ。

リプなどを返すのに数日を要した。こんな経験は初めてだ。こんなに「愛してる」言われた経験は無い。もちろん俺様が「愛してる」と言ってるから、「愛してる」と言われてるのだが、それでも「愛してる」言われて、嬉しくない人いる?俺は嬉しかった。俺ほど「愛してる」と伝えまくってる人間、みんなから「愛してる」と言われて俺ほど愛されている人間は居ない!そう思った。そして俺は日々、世界一「愛してる」を言いまくってる人間、そう自負している。そしてツイログを見ると、この時期、覚醒という言葉を何故か多用していた。 先ほどの皇暦2678年(西暦2018年)12月2日のツイートもそうだ。

同年12月4日

同年12月9日

同年12月10日

同年12月19日

同年12月22日

そして、同年12月7日と9日に、 二度の謎の号泣を経て、後藤輝樹様が復活、ついに覚醒した。 その時の事がブログに書いてある。

268【・涙を流せ。】 https://gototeruki.blog.fc2.com/blog-entry-1303.html

270【・愛してるぜ!は魔法の言葉】 https://gototeruki.blog.fc2.com/blog-entry-1305.html

この号泣事件の間に俺様の誕生日8日があるというのも、もはや神秘的だ。まるで計算されていたかのような配置。号泣、祝福、号泣。美しい。「愛してる愛してる」言いまくってるうちに、いつの間にか俺は覚醒していたようだ。覚醒し分かった。俺様路線は間違ってなかった。問題は熱量だ。圧倒的な熱量が足りなかったのだ。物事や世界を動かすには、何か?知識や真面目さじゃない。圧倒的な熱量、エネルギーなのだ。それを俺は身体から出さなければならなかった。その結果、神格化、俺様化に拍車が掛かった。鴨頭さんを見てて俺は思った。この人、本当は宗教やりたいんだろうなと。だけどビジネス的な事を考えて、まだ時期じゃないと思ってるんだろうな。俺はすでに輝樹教をやっている。基本的に、俺様の輝樹教が劣っているとは思わない。なのに浸透していない。俺は何でもかんでも、鴨頭さんよりも先にやっていた。俺は鴨さんよりも、ずっとずっと先、10代、20歳前後の時から、世のため人のため恩返しのために、捨て身で生きてた。だけど浸透していなかった。でも俺は浸透しなくてもいいと思ってた。今でも、そういう氣持ちはある。だけど、鴨頭さんを見て、俺は少し刺激を受けた。俺は基本的に、俺以外の存在に興味なんて無いんだけども、珍しくなんとなくだが、悔しさや嫉妬、焦りが俺を覚醒させ、拍車を掛けたのかもしれない。と同時に、俺なんかよりも、鴨さんこそ政治家をやるべき人なんじゃないかなと思ったし、政治家を目指している俺が言うのもなんだけど、鴨さんみたいな人に政治家になって欲しい、世界を変えて欲しいとすら思った。この人なら変えられると思うし、こういう頭のおかしい人じゃないと世界は変えられない。鴨頭さんは人を動かす力がある。鴨頭さんは頭がおかしいけども、世間的に評価されるに値する充分な結果を出している。そこが俺との違い。ぶっ飛んだ人間が、大きな結果を出している。つまり鴨頭さんなら「出来る」と思えた。鴨頭さんには沢山の仲間が居るし、鴨頭さん自身、変化を恐れず、絶えず挑戦する人だから、この先、宗教とか政治をやる可能性はゼロとは言い切れないし、俺は、面白いと思う。そうなった場合、鴨頭さんの傘下に付く可能性を、俺は想像もしたくらい。だけど、鴨頭さんの人生は鴨頭さんの人生、俺の人生は俺の人生だ。違う。人の人生は自由にできない。だけど俺の人生は自由にできる。鴨頭義人という人をYouTubeでずっと見続けていて分かったのは、この人は努力の人。メチャクチャ努力する人。俺は鴨頭さんほど努力ができない自信が圧倒的にある。しかし俺は鴨頭さんよりも圧倒的に努力はできないが、そのぶん圧倒的に天才である自信はある。俺が俺らしく頑張る理由は、それだけで充分だった。鴨頭義人という刺激を受け、やっぱり俺は、俺様輝樹様として俺なりの道を進もうと思った。本当に良い刺激になった。ちなみにだが、後藤輝樹様の「お前ら愛してるぜ!」爆誕は、実を言えば誕生秘話は、もっと遡る事が出来る。運命とは繋がりなのだ。ゼロからは生まれない。あまり遡りすぎると大変なので、皇暦2677年(西暦2017年)10月15日のツイートから話を始める。

皇暦2678年(西暦2018年)10月7日の「おやすみ。お前ら愛してるぜ。」から約1年前のツイートである。おそらく、このツイート以前は、俺はリプを見ないようにしていた。俺はツイートを始めてから、それまでずっと、基本的に自分のリプやリツイートを一切見ていなかった。そもそも俺は自分が世間から、どう思われてるかも、調べない。いわゆるエゴサーチもしない。肯定的なものであれ否定的なものであれ、見ると反応せずには、いられないからだ。良いコメントなどであれば感謝のコメントを返したくなるし、悪いコメントであれば報復のコメントを返したくなるので、いずれにしても神経を使ってしまう。さらに俺は名前や顔を出してやり取りするが、相手は名前も顔も出さずに、匿名でやり取りをするからフェアではないし都合が悪くなったら消えてしまうのだ。そんな相手に対して、いちいちムキになるのも面倒だ。だから予め見ないようにしている。 していた。だけど、その自分の殻を破ってみようとしたのが、上記のツイートである。このツイートの直前には、俺は、こんなツイートをしていた。

エゴサはしないまでも、フォロワーとのやり取りをみる、する、くらいは、してもいいのではないか。したほうが良いのではないか。と思ったのである。そう思うに至った経緯は、皇暦2677年(西暦2017年)の都議選よりも前に、さらに遡らなくてはいけないので、簡単に説明すると、都知事選以降、人間関係が上手く行っておらず、その原因は、俺が他人に興味なく俺様でやってきたからではないか?少しは寄り添ってみる努力をしたほうがいいのでは?という思いからの行動なのかもしれない。言葉にすると、こんな感じだが、当時は、薄らぼんやり、そんな事を思っていた氣がするレベルである。で、なんとなく、その俺なりの決意宣言を、とりまツイートしたら、その日が日曜日であったからか、いきなり、かなりのリプが来た。で、以下は、その時のリプのやり取りのツイートだが、今はYouTubeも収益化され、コメント欄も開いているので、俺も成長というか、うーん、人間力か、人間力が上がったものである。

あまりにリプが来たため、1時間近くで、いったん休憩する旨のツイートもした。

一応、予防線で、こんなツイートもしていた。

次の日以降もリプを見ようとしていた意思があったようだ。なので、この皇暦2677年(西暦2017年)10月15日を境に、俺はリプを見る努力をし始めたのだ。これだけでも、俺的には、当時、大きな変化であった。そして、翌年の皇暦2678年(西暦2018年)は「学び」というか修業の年となった。細木数子先生の六星占術では、皇暦2677年(西暦2017年)~皇暦2679年(西暦2019年)の3年間は俺にとっては大殺界であった。簡単に言うと、運氣が悪い年という事。運氣が悪いというと正確で無いな。自分が心地良い状態でスムーズに事が運ばない状態とでも言うのかな。つまり、修業の3年間という訳です。いつもとは違う自分を経験体験しろ。運氣というか精神というか、そのようなものの筋トレ期間とでも言うのでしょうか。俺は、そう解釈しました。なので、いつもとは違う事に、挑戦、トライする期間なのです。リプも、その一環としてトライしました。NHKから国民を守る党を(アポ無しでですが)街頭演説や選挙演説などで応援しに行ったのも、その一環での挑戦でした。皇暦2677年(西暦2017年)の都議選までの輝樹クラブは、ほぼタダみたいな価格の参加費で運営していたのですが、皇暦2677年(西暦2017年)の都議選以降は、1000円くらいの利益は確保できる程度の参加費を取るようになり、皇暦2678年(西暦2018年)度に入ってからは参加費を2000円くらいに上げていき、皇暦2678年(西暦2018年)末には参加費を3000円~5000円へと上げて、自分の価値を高め、メンタルブロックを解除する努力をしていきました。そして皇暦2678年(西暦2018年)には、御縁あって、ある塾に1年間、通わせてもらう事になりました。ある塾という表現に留めたのは、俺なりの優しさであり、塾に迷惑をかけないため。塾に通っている間は、ただただ修業期間中という事で、学習させて頂くという立場で1年間、俺なりに一所懸命に頑張ったつもりです。なんでも俺は独学で、やっちゃうタイプなので、1年間、塾に通い続けるなんて事は、大学受験もしくは中学校以来かもしれない。なので、通常であれば行わないであろう、塾に通うという行為それだけでも、学びになりました。その結果という事なのでしょうか、皇暦2678年(西暦2018年)末には(無料ではありますが)セミナーに通うようになりました。皇暦2678年(西暦2018年)10月13日には、無料の選挙セミナーに参加しまして、目から鱗でした。以下は、その時のツイートです。

ツイッターのリプは見るようになったものの、ツイッターは、一方的に俺様の情報を発信するためのツールとして活用していた。そもそも論としてSNSであるツイッターは、他者と交流するためのツールという認識が欠如していたのだ。もちろん、俺の活用方法がダメという訳では無いけども、知っててやるのと、知らないでやるのでは、まるで違う。凄い刺激を受けた。その10日ほど前にはYouTubeで鴨頭さんと出逢い、さらに鴨頭さんと出逢う数日前の9月15日に徳島で人生初の俺の講演会をやらせてもらった(俺的に反省点があり、今の俺様ならもっと良い講演が出来ると思っている)。ともかくも皇暦2678年(西暦2018年)後半は、刺激を受けまくっていた。今、振り返れば「俺様によるお前ら愛してるぜ!」の氣運が胎動していた。さらにだ、ツイログのデータを見てみると、この期間から、俺のフォロワー数が劇的に増え出している。

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フォロワーを増やす努力は何もしていない。俺は狙ってやるとダメなタイプなのである。だから、なんで増えたのかも、よくわからない。だが、それなりに推測するに、あるきっかけがあった。何故そうしたかの理由は言いたくないので言わないが、選挙とかフォロワー数を増やしたいとかとは、全く関係ない理由で、俺のフォロー数を1万人近くまで増やす事に決めて、それをツイートしたのだ。それが皇暦2678年(西暦2018年)9月27日であった。

俺に対してフォロー希望のリプをくれた人をフォローしつつ、すでに俺をフォローしてる人を片っ端から無作為にフォローし、結局、2500人くらいまで俺のフォロー数を増やしたところで、なんとなく、1万人まで増やす必要性は無いかと思い、ストップした。で、それ以降は、俺がフォローした2500人の中で、たまに俺のフォローを外す人も居るので、(定期的にチェックし)そういう人はこちらも機械的にフォローを解除し、皇暦2679年(西暦2019年)4月30日現在の俺のフォロー数は2272人だ。

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今後も俺のフォローを止めた人は(例外を除き)機械的に外し、フォローを希望している人は追加していくという形にしている。ともかくも、たまたま俺が全く何も関係ないある理由でフォロー数を増やしたところ、その事が呼び水になったのか、ツイログのデータを見てみると、それを境に結果的に俺のフォロワー数は現在、2倍以上に増えた。

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ちなみに、それまで俺がフォローしてたのは、生活クラブとマックさんと立花さんの3アカウントだった。それを2500くらいまで増やしたのが皇暦2678年(西暦2018年)9月27日。

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2019/04/28 14:28


徳島の講演会が9月15日、鴨頭さんのYouTubeを見たのが9月20日くらい。「お前ら愛してるぜ」を始めたのが10月7日。無料の選挙セミナーに参加したのが10月13日。そして11月中は、ウェブマーケティング系の無料セミナーを受けまくった。5つくらいは受けたかな?俺がメルマガやLINE@、Facebookでオンラインサロンを始めたのは、これら無料セミナーの影響がある。そもそも今まで俺はLINEすら、やっていなかったのだ。それを突如、怒涛の如く始めたのだ。輝樹クラブの参加費等を上げたのも、このセミナーの影響がある。本当は、そこまでセミナーに通うつもりなんて無かった。ただ、たまたま横浜であったセミナーに行った時に、今日、このセミナーに来た人だけ特別に、通常、有料のセミナーを無料で招待しますと言われた。そのセミナー数が5~10くらいあって、全部に行くのは大変だったので、興味があったいくつかの無料セミナーに参加する事にした。それが新宿であったので、それだけで行くのも交通費もったいないというのもあり、同じ会社のセミナーばっかり受けても、比較できないので、他の会社の、新宿でやっている無料セミナーも、偶然、日程が合ったので、ダブルヘッダーで受けに行ったりしていた。1つの無料セミナーに試しに行った事で、結果的に、複数の無料セミナーを経験し、かなり刺激になった。(本当は、選挙で供託金が没収されなかったら、鴨頭さんの所も含めて、どこかしらのセミナーやスクールに通おうかと思ったが、これを書いている今、忙しかったり、やる事が沢山できて、やりたい事も色々と見えてきているので、今は通うのを止めている。将来的に、さらなるステップアップ、または行き詰った時は、セミナーやスクールに通う事もあるかもしれない。)それらのセミナーを受けた事により、俺は、ツイッターで動画を上げたり「いいね!」をするようになった。ちなみに、それまで俺が押してた「いいね!」はマックさんと立花さんに関する2つくらいだけだったと思う。で、その後の12月7日号泣、12月8日降誕祭、12月9日号泣を経て覚醒、新生輝様爆誕、神格化。たまたま11月24日に塾の生徒さんから教えてもらったホモデウスという本があり、その要約したものをネットで発見して読んだのが12月16日。

俺は皇暦2676年(西暦2016年)の都知事選以前から、何故か「後藤輝樹様」を名乗っており、皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙で供託金没収を回避するために「様」を外していたが、俺様の方向性は間違っていなかったのだ。間違ってたのではなく、不足していたのだ。後藤輝樹様への肯定力が圧倒的に不足していたのだ。この1年間近くは後藤輝樹様としてではなく後藤輝樹として、色んな人と接触し、学んだ結果、俺は、のびのび自由に好き勝手やらないと、「俺は生きない」というのが改めて分かった。人に氣を遣い、我慢や窮屈にすると、俺の力が発揮できない、俺の個性が死んでしまう。だから俺様は皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙が終わったら、「後藤輝樹様」を圧倒的に押し出して行かなければならない、と決意した。それが世の中のためである。これからの時代、神が乱立してくる。その流れに俺様は氣付き、実行できる能力があるのだから、見て見ぬふりをせずに行動しなければならない責任が俺にはある。ノブレスオブリージュである。普通の人では、おそらく出来ない。氣付いたとしても出来ない。俺みたいに、ぶっ飛んだ人間じゃないと成し遂げられない。幼少期から感じていた、俺の、この常識に囚われない圧倒的個性は、このために存在していたのだ。だからこそ、まだ俺は生かされているのだ。まだ役目がある、と。後藤輝樹様がこの世界を救わなければならない、と。少なくとも、世の中を変革するための劇的な起爆剤としての役割は必ずある。俺は、そう感じた。このような運命の流れがあった。それぞれは、元々その1つ1つに、繋がりが無かったのだが、振り返って見ると、不思議な縁で繋がり、連動していたのだ。そして俺を覚醒させた。まさに修業の成果であった。その時は全く感じてないというか、無心のようにやっていたが、今、考えると、成果であった。学びの成果が俺を覚醒させたのだ。そして、ツイッター上で、カッコいいとか、そういう類の事を言われるたびに、俺は「俺はもっとカッコよくなるぜ」みたいな事を言いまくってたら、そんなカッコいい俺様なら、ホームページも、もっと良くしなければならない、と、ホームページ制作に取り掛かる事になったのだ。そして、それが皇暦2678年(西暦2018年)の11~12月くらいの事であった。今までも、何度もホームページをリニューアルしようという思いは、あった。だけど、やって来なかった。その作業を想像するに、メチャクチャ大変だったからだ。確か、最初に完成させたのが、初めての選挙の時で、8年前の皇暦2671年(西暦2011年)である。それ以降は、その都度、政策をそのまま追加していった。そして今や俺のホームページの政策数は1000以上あり、これを新たに、まとめて、創るというのは、不可能と言っても過言ではない。だから、やらなかった、というか、やれなかった。手を付けられない状態であった。だけど、スーパーセイント俺様輝樹様なら、やらなアカンやろ。という事で、やる事にした。「愛してる」効果で、重い腰が、軽くなっていた。新たなホームページを創るとしたら、どうする?と考えた時に、「ウィックス」と「ジンドゥー」という無料でホームページを創れるサービスを利用する事にした。そもそも何故、俺が「新たにホームページを作らないと」と思ったかというと、俺のホームページがスマホ対応になっていないからだ。鴨頭さんの動画や各種色々な無料セミナーに参加した結果、今の時代、スマホ対応になっていないと、ダメだという結論に至った。俺がホームページを作ってた時は、スマホが今ほど普及してなかったが、今やネットを見る人のほとんどはスマホを使うのだ。なのでスマホ対応になってないというのは、マーケティング的にもダメだし、何より、後藤輝樹様としても、優しくないだろ?お前らに対して。出来る限り、アホでもバカでも見やすい環境を整えてあげる努力を、俺様のほうからしてあげなきゃさ。だって、俺様神様後藤輝樹様なんだから。その両輪が回って「やろう!」と思った。だから、スマホ対応のホームページにするのは必須であった。そして、あと、読みやすくする、と。いや、読みやすくするというより、俺の考えや印象を、出来る限り短い時間で相手にプレゼントしてあげなきゃ、と、いうのがあった。元々、俺様の文章は読みやすいんだけど、それは人を選ぶ。俺に興味を持っている人は、進んで読んでくれる。けれども俺に全く興味のない人、または俺にちょっと興味があるくらいの人は、長文という時点で毛嫌いというか、あ、もういいや、ちょっと読むのやめよう長そうだし、面倒くさそうだし、、とそもそも読んでもらえない、という事になる。面倒くさそうという時点で、敷居が高く、入り口にすら入ってもらえてないんだ、という事に俺は氣付けるようになった。いや、元々、氣付いていただろうけども、俺様は、そんなん氣にしない、お前らが読むのが当たり前だ、という態度であったのだが、俺様のレベルが上がり、突き抜け、覚醒した事で、俺様は神様なのだから、むしろ、民に寄り添わなければならない、という感覚が強くなったのだ。なので、今までの俺様のホームページはパソコンで見る事が前提のサイトになっていたが、これから創るホームページはスマホで見る事が前提のサイトにしようと決めた。ウィックスとジンドゥーはスマホ対応になっていた。ただ、ウィックスのほうが、より洗練されていて、カスタマイズもしやすそうだから、当初はウィックスで創っていた。メインの政策からまとめるとなると、沢山あり過ぎるので、まずは、整理しやすそうな、輝樹教の教えから取り掛かった。輝樹教の教えとは、俺様による生きるヒントを綴ったものだ。ただ、これをまとめ、新たなホームページに移すのだけでも、非常に難儀した。既存の輝樹教の教えを新たなホームページに移すだけでも難儀だが、輝樹教の教えは現在進行形で毎日のように付け足しているのである。新たなホームページを創った際に、輝樹教の教えを付け足していくのは、のちの管理を想像した時に、大変だなと判断し、輝樹教の教えは、俺様のオフィシャルブログで展開する事にした。それに、バックアップの事もある。ウィックスやジンドゥーはバックアップができないのだ。なので自分でバックアップを取っておく必要がある。輝樹教の教えを付け足していくたびに、バックアップを取るのはめ面倒くさい。しかしブログなら一括バックアップ機能があるので、それを利用する事も可能だ。 ということで途中まで新たなホームページに輝樹教の教えを追加していったのだが、それを止めて、元々ある俺様のブログのほうに、輝樹教の教えを全部、移していった。 その作業をやっているうちに、ホームページをリニューアルするのではなく、今までのホームページは第一次公式サイトとして残し、第二次公式サイトを創る形にしようと思った。何故なら、全部を再構築するとなると、まず時間が非常に掛かるからだ。そして、新たに創るスマホ対応のホームページは出来る限り必要最小限の文章に留める必要があり、全部を再構築するとなると、また長文になってしまうからだ。考え方としては、第一次公式サイトも第二次公式サイトも同等なので、母体として第一次公式サイトを残し、より多くの皆さんに見てもらう用に第二次公式サイトを創る事を決めた。なので、第一次公式サイトは、そのまま残し、そこから必要最低限のものだけを抽出し、その骨組みを基に、新たなホームページに肉付けする事にした。その作業が最も難儀だった、一番大変だった。例えば、今回の神奈川県議選用の特設サイトは比較的、簡単なんです。何故なら、そこまで詳細に書く必要が無いから。むしろ、ひとこと、ふたことくらいで分かる程度のものが有権者にとっては分かりやすい。補足で説明する程度で済む。それ以上の説明が必要な人は、俺の第一次公式サイトを見たり、直接、俺に会いにくればいい。しかし、選挙中の特設サイトじゃなくて、俺の思想や政策がある程度、網羅されていなければいけない常設サイトの場合、分かりやすく見やすくしつつも、シッカリと書かれていなければならない。例えば、原発問題なんて、賛成か反対か、そんな単純な問題ではない。なので、深く掘り下げて書く必要がある。そして、俺が取り上げる政策なんて、深く説明しながら書かざるを得ないものが多い。それを1つのホームページに、出来るだけ分かりやすく、出来るだけ見やすくまとめるのは至難の業である。第一次公式サイトでも、それは苦労した。一応、言うても、俺なりに、それなりに、見やすく創る努力はしたのだ。政治だとか、教育だとか、外交だとか、テーマごとに分けては、いた。しかし、それもまた、難儀な問題なのである。というのは、日本の行政で縦割り問題があるが、ホームページ制作をしていても、縦で割らざるを得ないのを実感している。ある程度、縦で割らないと全体を、まとめられないのだ。縦で割らないと、まとまらないのだが、難儀な事に、どこかしら横で繋がっているから厄介なのである。例えば、教育というカテゴリーでまとめても、教育とは子ども達に対しての政策であって、それは同時に、子育てとか福祉とかにも繋がる話でもあり、バッツリ縦では区切れないのだ。教育の事を語りだすと、いつしか子育てのテリトリーに入っていたり、これからの日本の未来や将来、ビジョンについて話が進み、日本国家の在り方とは?という領域にまで踏み込んでしまっていたりする。なので、まとめるのが大変。タクトを執っていくのが大変なのである。前回の第一次公式サイトのほうは、カテゴリーを作り、そこに政策を羅列し、その都度、放り込んでいくという形で、最終的には、俺は楽をした。まぁ、第一次公式サイトは、そういう形で創ってしまっていたのだが、今回は、母体ありきの第二次公式サイトなので、少し冒険をする事にした。当初は少し、考えてもいた政策の羅列方式を止めて、ストーリー方式にした。今の主流のホームページを見るに、1枚のページを縦に下って、見るというのがスタンダードな感じがした。というか、俺がスマホで見るにあたり、そういう見方が見やすかったからだ。複雑なリンクや画像を配置し、ガチャガチャした感じのホームページは見にくかったので、動線や視線が散漫しないような創りにするには?を想像した結果、1枚のページを下る感じで、ストーリー形式の文章を提供する事にした。しかし、それだと今まで通りの長文を並べただけのサイトになってしまうので、重要な単語や文章だけ太字や赤字にして、そこだけ目が止まるような創りにした。スマホで、1枚のページを上からザッピングし、赤字のところで指が止まり、そこの部分を読む。氣になれば、読み続け、面倒になったら、またザッピング。赤字が出たら、また止まる。見る人が、そういう使い方をするイメージを想像して、創る事にした。その文章をまとめるのが、本当に難儀だった。というのは、第一次公式サイトのサイドバーにある「トップページ」から「その他」までのリンク数が21である。これでもカテゴリー別に何とか、コンパクトに、まとめたのだ。それでも21にまで広がった。スマホ対応の事や見やすさを考えると、この21のカテゴリーを3分の1以下、だいたい6くらいのカテゴリーに集約させたい、と俺は思った。出なければ、閲覧者ファーストじゃない、と俺は思った。カテゴリーを3分の1以下にしてコンパクトしながらも、第一次公式サイトの政策をほぼ網羅しつつも新時代に向けた最新版の後藤輝樹様のストーリーを提供し、それでいて、第一次公式サイトよりも圧倒的に見やすくするという、今あらためて考えると「そんなん出来るのか?」「不可能だろ?」という事を、頭の中でグダグダ考えずに、頭の中で直感して、実行し続けた。そして結果的に、俺は、カテゴリーを3分の1以下にし、俺様の政策をほぼ網羅しつつも新時代に向けた最新版の後藤輝樹様のストーリーを提供し、それでいて圧倒的に見やすいホームページを創り上げたのだ。やれば出来るものである。この文章を綴っている今、俺は猛烈に感動し、猛烈に自分を労いたい。文章で綴る事で、初めて実感する事もある。今回の選挙戦記の仕事をいただいた事を感謝したい。なので、12月以降は、ほぼ毎日ホームページ制作に勤しみ、ノイローゼになりそうであった。なんとなく、俺のフォロワーは受験生が多いと感じていたので、受験生に「頑張れ!」と、俺はエールを贈っていたが、もしかしたら俺自身に贈っていたのかもしれない。 皇暦2679年(西暦2019年)1月8日のツイート。

皇暦2679年(西暦2019年)1月7日付のYouTube

そんな中、皇暦2679年(西暦2019年)1月12日、突如のツイッター休止宣言。

急に来たね。ツイッタークソリプの応対をやり過ぎて、いつの間にか、そのストレスが蓄積してたんだと思う。精神的に余裕がある時であれば、何でもなかったんだと思うけど、このアカウント名「ベニテングダケ」のDMで決壊したね。心の糸が切れた。この子が悪いんじゃない。たまたまこの子の時だっただけ。とりまツイッターを休もうと思った。元々、俺は、ツイッターのリプとかは読まない見ないという人間であった事は説明したが、急激な変化に、俺のメンタルが悲鳴を上げたのだろう。ツイログのデータを辿り、リツイートやイイねの有無から推測するに、おそらく、9月27日フォロワー数を2500くらいまで増やし、その同日、誰も俺様に注目しないならもういいやと鍵アカにし。鍵アカ状態のまま、10月7日、閉ざされた空間の中で、俺様のフォロワー向けに「愛してるぜ。」を伝える事を始める。10月13日の選挙セミナーを受けて、同日「イイね」を押すようになる。本当に結果的にだが、この約2か月間の鍵アカウントという閉鎖的な環境で慣らしたのち、突如なんとなく12月6日に鍵アカ解除。フォロワー以外からもリプやリツイートが来るようになり、いつも通り、輝樹節でキレ出すようになる。そして鍵アカ解除後20日間ほど経った12月28日。俺のキレキャラを知らなかったのか、あるフォロワーから諫められる。それを受け、自らも反省し、冷静に対応するよう努めるものの、蓄積したストレスからか、翌年1月12日にツイッター休止宣言。鍵アカ解除後わずか1か月程でリタイアしてしまった。これは頂けない事である。スルーするメンタルを養う必要がありそうだ。とはいえ、ホームページ制作をしていたので、ホームページ制作に集中する事ができて、結果的には、良かったとは思う。そんな鍵アカ状態の中、よくもまぁ、フォロワー数が増えたもんだ。別に俺はフォロワー数を増やす事を生きがいにしてはいないが、それでもフォロワー数が増えるのは悪い氣分ではない。通常であれば、おそらく鍵アカなんてしてたら、フォロワーは増えないだろう。それどころか、鍵アカやめたと思ったら、今度は休む宣言とか、通常ならフォロワーが減ってもおかしくない。少なくとも、フォロワー数が増えるような行動ではない。なのに8800くらいが続いてたフォロワーが今現在は17800くらいと2倍以上に増えている。摩訶不思議である。セオリーが通用しない時代なのかもしれない。いや違う、正確じゃないな、その表現は。非セオリーが通用する時代なのであろう。 参考資料ツイート

という事で、皇暦2679年(西暦2019年)1月12日にツイッター休むが、だけど休んだという感じが、そんなにしない。オンラインサロンで毎日のように「愛してるぜ」を言ってたからかもしれない。