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1「5年前から決めていた」後藤輝樹様の選挙戦記「皇暦2679年(西暦2019年)神奈川県議会議員選挙編」

1「5年前から決めていた」

皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙に出る事は、確定していた。それが確定したのは、遡ること5年前、皇暦2674年(西暦2014年)の東京都知事選挙の熱狂ぶりを見てからだ。当初のプランでは、皇暦2675年(西暦2015年)の統一地方選挙で、俺は政治家になる予定であった。しかし、その都知事選の熱狂ぶりを見て、俺はプランを変えた。それまでに俺は、自分の名を売るために、5回の選挙に立候補し続け、360万円の供託金を没収されていた。とにかくカネが尽きるまで選挙に出続けようと思っていた。カネが無くなったら死ぬつもりだった。都知事選の供託金は300万円。都知事選の熱狂ぶりと言うと、いささか言い過ぎかもしれない、しかし少なくとも、俺が、その時、感じた事は、360万円かけて5回の選挙に出るよりも、300万円かけて1回の都知事選に出るほうが、名を売れると思った。ここで一応、誤解の無いように言っておくが、名を売ると言っても、俺は別に、有名になりたいとか、お金が欲しいとか、そういうつもりで、名を売りたいと思っている訳ではない。お前らを救ってやるために、名を売ってやっているんだ俺は、自分を犠牲にして。こんな絶望的な世の中に生きててもしょうがない、どうせ死ぬなら、命も名も売ってやる、と。少しくらい、良い事やって死んでやる、と。命もカネも名誉も何も要らん。とにかく捨て身で、この俺様が世の中を変えるんだ。そんな感じのことを自分勝手に、マイペースに俺は、やっている。自己中心的利他。こんなに「良い政策がありますよ、提案がありますよ」「こんな傑物がいますよ」とお前らに教えてあげ、そして、俺は「この閉塞した世の中に風穴を開けたい」、そういう思いで、俺は活動してきた。ま、あくまでマイペースでだけど。俺が選挙に出続ければ、仲間がそのうち出来ると思って、どこか誰かに迎合せず、ゴーイングマイウェイで、ひたすら選挙に出続けていた。しかし、仲間も出来ないし、箸にも棒にも引っかからなかった。そして360万円を失い、5連続落選していた。もともと覚悟はしていた。しかし、あまりにも、この暖簾に腕押し感は、さすがの俺も、やるせない氣持ちになったのかもしれない。当初は、都知事選に出る事は、全く思っていなかった。何故なら供託金が高いのは、さることながら、都知事選は、選挙区が広すぎるからである。それまで俺が立候補してきた選挙区は、5つとも自分1人でも選挙ポスターが貼れる範囲であった。例えば、千代田区議会議員選挙の選挙ポスター掲示板数は確か108である。それが都知事選だと、14224である。その差、100倍以上。圧倒的な差。俺が100人以上居ないと、出来ない話である。俺は、俺なりに選挙活動に対する美学があった。選挙公報をシッカリ創り、選挙ポスターを貼る。そしてインターネットで、自分の人間性や政策を詳細に伝える。選挙活動は、それだけで充分という俺なりの美学があった。逆に言えば、その最低限の事は、シッカリやりたいと思っている。俺一人なら俺一人なりに、シッカリやろうという美学があった。俺が有権者だとして、俺が候補者を選ぶ基準で、俺は俺の選挙活動を考えている。もし俺が候補者を選ぶとしたら、まずは選挙公報を見て、選ぶ。それをネットで候補者の情報を拾って、補足する。それで終わりだ。正直言えば、選挙ポスターも、絶対に必須という事ではない。選挙ポスターは、最小限の選挙活動しかしない、俺なりのサービスである、有権者に対しての。それと選挙ポスターは、なんとなく、選挙の象徴っぽいところもあったしな、俺の中で。とはいえ最終的には、選挙ポスターも俺の個性の一つには、なってしまったし、俺が世間から注目されるツール、もっと言えば武器の一つにはなった、結果的に。なので、自分が選挙に立候補する際に、選ぶ選挙区の基準は、自分で選挙ポスターが貼れる範囲を選んでいた。それ以外は眼中になく、その結果、都知事選は、自動的に、端から除外されていた。そもそも、都知事選は、当選の可能性はおろか、供託金返還の可能性も限りなく低い。俺の戦略目標は当選よりもまず供託金没収を回避する事である。回避し続ければ回避し続けるほど、俺は戦える。世の中に声を届けられる。だから、少しでも少しでも足掻く藻掻くために、供託金没収は出来るだけ回避したい。なので供託金没収が確実の都知事選は視野には入れていなかった。しかし、都知事選の盛り上がりぶりを目の当たりにし、方針を転換した。360万円没収されて、橋にも棒にもかからないのであれば、選挙ポスターを全部貼れなくてもいい、300万円没収されてもいい、俺の足掻き藻掻き続ける時間が短くなってもいい、俺の命の時間が無くなったとしても構わない、それでも、都知事1回をやったほうがコスパが高い、いや、やる価値があると、判断したのだ。判断したというか、計算をしたのではなく、直感で感覚的に、そう思った。俺の肌感覚で。当選はおろか、供託金も没収されても構わん、俺は都知事選に出る。そう決めたのだ。それから俺は計画した。そして、4年後の皇暦2678年(西暦2018年)の都知事選に、俺は立候補する決意をした。となると、皇暦2675年(西暦2015年)の統一地方選挙で当選したら、マズいなと思うようになった。今、思えば、統一地方選で当選しても、その任期を満了せずに、都知事選に出ちゃうという柔軟な選択肢もあったのだが、元来、俺はピュアで真面目で神経質な所があるから、辞めると分かってて、当選するのも、ちょっとアレだなと思い、皇暦2675年(西暦2015年)の統一地方選挙は、受からない前提で立候補する方向に傾いた。俺のメンタルが強ければ、当選しても別に良かった。あとはまぁ、当選するには、まだまだ伝説が足りないと、なんとなく俺は、思っているのかもしれない。皇暦2678年(西暦2018年)の都知事選に出ると決めた結果、予定通りに進めば、皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙に出る事は、確定した。また、誤解の無いように言っておくが、この時点で100%確定していたのは、都知事選に出る事だけであって、他は流動的である。もしかしたら皇暦2675年(西暦2015年)の統一地方選挙に当選するかもしれないし、それ以外の選挙にも出るかもしれないので、皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙に立候補するかしないかも、状況次第で分からないのだから。まぁ、しかし、皇暦2675年(西暦2015年)の統一地方選挙に落選した事で、皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙に立候補する事が、ほぼ確定した。しかし、どこの選挙区に出るかは、立候補当日まで確定しなかった。結局、皇暦2678年(西暦2018年)にやる予定だった都知事選は、皇暦2676年(西暦2016年)に実施され、準備が万全では無かったが立候補に漕ぎ着け、その翌年には、都議選にも立候補する事となった。そして今年、皇暦2679年(西暦2019年)の統一地方選挙、予定通り、立候補する事になった。